野良Wi-Fiと野良ネコと
最近、山手線に乗ってスマホをいじっていると、特定の駅にさしかかった時、回線が重くなってネットが開かないことが多くなった。
電波が弱いのかと思ったが、実際はその逆だ。JR東日本が提供する「JR EAST FREE wifi」という無料のWi-Fiサービスがあり、そのアクセスポイントに近づくことでスマホがWi-Fiに切り替わり、接続待ちになっているのだと思う。
●年間1300万人の訪日観光客に向けて
●街に飛び交う野良Wi-Fi
いきなり!ステーキと、切り損ねた肉と。
立ち食いスタイルでステーキを安く提供し話題になった『いきなりステーキ』に行ってみた。
イスラム国と人質の値段と、日本からの反撃の狼煙
2015年1月20日、ISIS(イスラム国)によって拘束された日本人二人の身代金として2億ドルが要求された。
その後、要求に応えない日本政府への見せしめとして湯川遥菜氏が殺害された。
続いて残された後藤健二氏の身柄については、ヨルダンで拘束された爆弾テロの実行犯との交換が要求された。
だが結局、人質の交換は実現しなかった。
そして二人の日本人が、遠い中東の地で命を奪われた。
人質の値段と、ISISが欲しがるもの
拘束された二人の日本人について(特に湯川氏に関しては香ばしい噂が流れたせいで)“自業自得”と思っている人も多かったようだ。
特に最初に提示された身代金が2億ドルと破格であったため、
「あんな自業自得としか思えない危険行為を犯した人物のために、2億ドルもイスラム国にくれてやる必要は無い」
という意見がネット上に飛び交っていた。
だがどんな経緯があったにせよ、人の命であることに代わりはない。
「いらん、殺せ」
と言える権利を持つ人間はこの世に一人もいない(無論ISISにも彼らを殺す権利はない)。
だが結局、2億ドルだろうが2万ドルだろうが、『テロに屈さない』という理由で身代金が支払われることはなかっただろう(※テロに資金援助すれば間接的に彼らの破壊行為に手を貸すことになるし、脅迫に屈せば今後も邦人が誘拐の標的になるからだ)
またISISが要求した身代金の2億ドルとは、日本政府がISIS対策に拠出を表明した援助金と同額であり、つまるところ
「俺らに喧嘩売るのはやめとけ」
という示威行為に過ぎなかったという見方もある。つまり、最初から2億ドルもの身代金が払われるとは思っておらず、最初から殺す気満々だったでは?ということだ。
そして最終的にISISは人質の命を奪い、「アベのせいで二人は死んだ」と声明を出した(もちろん、二人の死は“アベのせい”ではなく、“ISISが殺した”からなのだが)。
彼らは欲しいものを手に入れたのではないだろうか。つまり「俺らに喧嘩売るやつらは痛い目にあう」という印象を再び全世界に伝えた。そして対岸の火事だとタカをくくっていた日本人に、自分たちも被害者になりうるのだという意識を植えつけた。
もしこれが戦争なのだとしたら。
ISISの目的は、西洋諸国によって決められた国境と国家体制(サイクス・ピコ体制)を打倒し、かつてのイスラム王朝の領土を取り戻すことだと言われている。その主張にどれくらい正当性があるのか、僕には分からないが、いずれにせよISISが行っているのは領土を奪い合う武力闘争、すなわち戦争だということになる。
戦争の舞台となっているのは、我々日本人の 土地ではない。そこにどんな歴史があり、どれだけの悲しみや憎しみが降り積もっているのか、異邦人である僕に理解することはできない。
だが(ISISの行為を正当化するわけではないが)、あれほど残虐な行為を行ってまで取り返したい土地なのだ。そこには何か、よそ者にはうかがい知れぬ強い思いがあるのだろう。人を脅し、殺しても奪還したい土地と覇権。(我々にはまったく理解できないが)彼らの中では共感を得る正当性が存在するのだろう。
彼らはその主張を増幅させ、WEBメディアに載せて世界中に拡散する。だから中東地域の外からISISに賛同する人々が集まるのだろう。
だとしたらこれは情報戦だ。 ボスニア紛争の時にも同じ手法が用いられた。
広告代理店による印象操作。“民族浄化”というキャッチコピーでセルビアは敗れた。
「戦争広告代理店」という名著がある。1990年代前半に起きたボスニア紛争に関するドキュメンタリーで、テーマは「パブリックリレーション(PR)による情報操作」だ。
簡単に説明すると、紛争当事者であり劣勢だったボスニア側が、アメリカのPR会社を雇って敵国セルビアの悪口を世論に訴え、国際社会を味方につけたというものだ。
本の中で、ボスニアのPRを請け負ったアメリカのルーダー・フィン社が、セルビア側の虐殺行為を“民族浄化”と名付けて世界に流布させるエピソードが出てくる。
民族浄化という言葉自体は、ボスニア紛争の前から存在した。敵対する民族を排斥するため、虐殺や暴力で土地から追い出したり、自治体を乗っ取ったり、組織的な強姦を行ったりする行為のことだ。
だがルーダー・フィン社はその残虐な行為のネーミングを慎重に行った。当初は“ホロコースト”と呼ぼうとしたが、ユダヤ人コミュニティからの反発を受けて取りやめた。そしてやがて“ethnic puriffying”と“ethnic cleansing”という二つの英訳に辿り着く。最終的に多用するようになったのは“ethnic cleansing”の方だった。なぜなら、そっちの方がより残酷な響きを帯びていたからだ。
“民族浄化”というショッキングな響きが想起させる残虐なイメージは、瞬く間に世界中に浸透した。
たくさんの人が「いったいボスニアで、セルビア人はどんなおぞましいことを行っているのか?」と興味を持ち、セルビアは世界中から批難を浴びた。
もちろん、セルビア側が行ったとされる非人道的行為は決して許されない。
だがよく考えてみて欲しい。敵対する相手を殺し、土地から追い出し、自治体を占拠する。これこそが古来から“戦争”と呼ばれている行為ではないだろうか。近代の軍隊において非人道的な行為が禁止されたため、セルビアが行った行為は非難されているが、100年ほど前は世界中が同じことをしていたはずだ。
このケースでボスニア側が勝利した要因は、秀逸なキャッチコピーでセルビア側の行為を再定義し、印象を操作したことだった。
ドキュメント 戦争広告代理店〜情報操作とボスニア紛争 (講談社文庫)
- 作者: 高木徹
- 出版社/メーカー: 講談社
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日本から何が発信できるのか考えてみよう。
もしもこれが情報戦だとしたら。
ISISは世界中に向けて、暴力と恐怖と自分たちの正当性を訴え続けている。ネットの普及は“アラブの春”みたいな民主主義の勝利にも貢献したが、テロリストたちのプロパガンダにも役立っている。
だとしたら、日本からもネットを通じて様々な情報発信を行い、彼らの蛮行に対抗することができるのではないだろうか。
だけど、それはISISの行為を茶化す「クソコラグランプリ」みたいなものではないと思っている。相手を攻撃することでは何も得られない。攻撃は報復を生み、憎悪の連鎖を再生産するだけだからだ。
日本から発信するとすれば、ISISが殺したのが誰で、そしてそのことによって何が起きたのか、しっかりと説明することだと思う。
結局、人質が殺害されたからといって、2億ドルの支援が撤回されることは無かった。ISISは何の実現性もない単なる恫喝のために2人の命を奪ったのだ。
彼らの死に、何の意味があったのだろうか?
あの2人に死に値する罪があったのだとしたら、ぜひ教えてほしいものだ。
そもそも、日本人が中東地域の人々から積極的に怨まれるいわれは無いと思う(僕の理解不足なのかも知れないが)。湾岸戦争にお金を出して、間接的に戦火に関わったかも知れないが、むしろお金を出すと言えば、ODAによって中東諸国の発展に貢献してきたのだから。
そんな日本人を人質にし殺害した行為。
その行為が“みっともない”ということを世界中に伝えたい。
そんなPV(プロモーション・ビデオ)を作ればいいのではないかと思う。ISISのプロパガンダに対抗して。
そのPVの映像は、日本がこれまで中東へ支援した数々の橋や電気設備などの紹介から始まる。日本とはすなわち、太平戦争に負けて、軍隊を捨てて、羊のように世界中に頭を下げて金を配っている国だ。石油が涌くわけじゃない、国土が広いわけでもない。足は短く、鼻は低く、国民の半分が眼鏡を必要とする国なのだ。
戦争をしないことを信条にしていて、隣国から領土問題で虚仮にされてもなかなか反論することもできない人々だ。
ISISが殺したのは、そんな国の国民なのだということを、映像で伝えていく。
PVの後半には、地震と津波でボコボコになって、そこから這い上がろうとしている東北の人たちの姿もくっつけて欲しい。ヒロシマ・ナガサキの惨劇も盛り込みたい。“血に飢えた”彼らに、日本がどれほどの苦痛を乗り越えてきたのかを教えてやってくれ。
そんな日本人を殺害し、聖戦だといきまくことがどれほど“みっともない”ことか。
そのことを実感させたい。
世界中の誰が見ても
「うわあ・・・ISIS・・・かっこわるうぅ・・・」
と実感するPVを通じて、これ以上彼らのテロに加担する若者が現れないようにしたい。
「暴走族」を「珍走団」と呼ぶのと同じ力学だ。
美しくない理念に人は共感できないし、理念なき集団は存続することができない。
誰が見ても好ましくない行為を繰り返す彼らの目を覚まさせるには、正面から理を説いても無駄だと思う。
人々からの声高な批難を通じて、水面に映った自分たちの姿を気づかせる努力に、我々はもっと取り組んでもいいのかも知れない。
シャーロック・ホームズと世界一有名な下宿跡にある博物館~イギリス旅行~
名探偵、と聞いて思い浮かべるのはいったい誰であろうか?
日本ではいつの間にか、名探偵といえば“江戸川コナン”になってしまった。
90年代に“金田一少年の事件簿”が切り開いた推理漫画ブームに乗って、颯爽と登場した名探偵コナン。漫画×ミステリという、すぐにネタ切れを起こしそうなジャンルにも関わらず、20年以上に渡って連載を続け、今やコミックスの発行部数は1億5000万部を超えているという。
セールスと言う意味では先達である金田一少年を大きく引き離し、名実ともに日本一の名探偵の座に君臨していると言っていい。
だがそもそも金田一少年も、江戸川コナンも本歌取り的に生まれた作品であり、彼らが生まれる土壌として数多の名探偵が存在した。
日本代表で言えば、金田一少年の祖父である金田一耕介、コナンの苗字のモチーフである江戸川乱歩が生み出した明智小五郎など。
だがやはり、世界的な知名度、人気という意味で圧倒的な探偵といえばあの人だ。
そう、シャーロック・ホームズである。
すべての名探偵のオリジン。
シャーロック・ホームズこそがあらゆる名探偵作品の礎だ。
(※厳密にはエドガー・アラン・ポーの描いたオーギュスト・デュパンが元祖かも知れないが、読者はあまり気にしない。例えば“餃子の王将”と“大阪王将”のどちらが元祖か、知っている人が何人いるだろうか?)
そして登場以来120年、シャーロック・ホームズを題材にした作品は枚挙に暇がない。
最近ではHNKで三谷幸喜脚本の人形劇が放映されているし、現代を舞台にしたイギリスのドラマ「SHERLOCK(シャーロック)」は大変な人気で、主演のベネディクト・カンバーバッチの名前を一気に世に知らしめた。
そろそろ、古今東西の名探偵を美少女化した艦隊これくしょん的な『探これ』がDMMから発表され、そのメインキャラクターにホームズが起用されるのではないだろうか。
登場から100年を超えてなお、ホームズを超える名探偵は現れそうにもない。なぜなら、繰り返しになるがホームズこそが名探偵のオリジンだからだ。歴史は変えることができない。始点にその名が刻まれている以上、それ以降に現れるものは全てフォロワーになる。
U2やColdplayがどれだけヒットを飛ばそうと、ビートルズを否定することはできない。どうしてもそれをしたければ、マーティ・マクフライがやった方法を踏襲するしかないだろう。
そしてベーカー街221Bへ
ロンドンで最も有名な通りは間違いなくベーカー街だ。マダム・タッソーの蝋人形館があるからではない。シャーロック・ホームズがワトソンとともに下宿していたのがベーカー街221だったからだ。
実際にはホームズが下宿していたとされる1880~1903年頃には、ベーカー街には221Bという番地は存在しなかった。そのためホームズの下宿の位置について正確に特定されているわけではない。
そんなベーカー街に立つのが「シャーロック・ホームズ博物館」である。1936年まで実際に下宿として使われていた建物であり、「空き家の冒険」の中の描写と同じく17段の階段があるため、ホームズの下宿に違いないと主張している。
建物は4階建てで、1階が土産物屋。2階から上がホームズとワトソンの居室を再現したミュージアムになっている。
ホームズがパイプをくゆらし、ワトソンと談笑を交わした暖炉。
※ミュージアム内の係員(メイド姿!)にお願いすれば、帽子とパイプを手に記念撮影もしてもらえる。
あちこちに飾られている備品は単なる飾りではなく、様々な作品小道具の再現だったりするので、マニアにとってはたまらないだろう。
館内はとても狭い。細い階段を通って3階へ向かう。
3階からは、突然蝋人形の展示がされているので度肝を抜かれる。基本的に作品中の一幕を再現しているのだろうが、なにぶん狭い部屋の中なので舞台装置が十分でなく、甥っ子の学芸会を無理やり見せられているような気分になる。
牢屋を再現したかったのだろうが、、、単に室内で悪ふざけをしているようにしか見えない。。
何の予告もなく、部屋の片隅に倒れこむ人影があったものだから、悲鳴を上げそうになった。
しかし、驚くのはまだ早い。実はこの死体の上の天井には・・・・
穴が空いており、誰かがランプを差し出しているではないか。
その穴の中を覗いてみると。。。
こちらの様子を伺っているのは、、、、誰?
(ホームズとワトソン??)
おそらく元ネタは「マスグレーヴ家の儀式」だろう。とある貴族の古い屋敷から失踪した執事が、実は地下室に隠された財宝を盗み出そうとしていた、という話だ。物語のラストで、執事は問題の地下室で死体となって発見される。かつて自分が捨てたメイドの逆恨みによって閉じ込められてしまったというオチだ。
※このエピソードを知らなければ、天井からランプを吊るすホームズたちの姿にはなかなか気づかない。
これだけの充実した見世物を楽しんで、入場料はたったの十ポンドだ。スコットランドのネッシーランドが六ポンドだったことを考えると、破格ではないだろうか?
ネッシーの実在問題とネッシーランド ~イギリス・スコットランド旅行~ - 風とビスコッティ
ここでひとつ気をつけて欲しいのは、シャーロック・ホームズ博物館は大行列だということだ。私は平日に行ったが、それでも30分は並んだ。
そしてもう一つ大事なのは、いきなり行列に並んではいけない、まず一階の土産物屋の奥へ行き、入場券を買う必要があるということだ。
そうしないと30分並んで入り口まで到達しようかというタイミングで、ニヤケ面の係員から「入場券は買った?まだの人は土産物屋の奥で買ってね」と通告され、また行列に並びなおす羽目になる。
賢明なる読者諸氏においては、抜け目無く入場券を買った上で並んだ上で、自分の後ろに並んだ人がそれを見落としていたら教えてあげて欲しい(私がそうしたように)。
後ろに並んだ日本人カップルに得意満面で入場券について教えた後、こう付け加えるのだ。
「基本だよ、ワトソン君」
危険ドラックの街とシビレる坦々麺とリーガル・ハイ
危険なドラッグ、略して「危険ドラッグ」!
しばらく「脱法ハーブ」という名称で認識されていた薬物が、その危険性を考慮して新たなネーミングを公募したのが2014年の夏ごろ。
吸引者が自動車事故を起こしたり、全身が弛緩して排泄物を垂れ流すなど、事件が多発したため、その危険性を伝える名前にする、という話だったが、最終的に「危険ドラッグ」という安直な名前に決定して日本全国がずっこけたことは記憶に新しい。
これならいっそ、私の知人が考えていた「母さん助けてドラッグ」もしくは「脱糞ハーブ」などを採用して欲しかった。
ちなみに英語圏では危険ドラッグのことを「リーガル・ハイ」と呼ぶらしい。合法的にハイになれる、という意味だ。それを聞いて合点がいった。堺雅人のキレキレの演技は素面では無かったのだ(シーズン3、楽しみにしています)。
池袋で合法的にハイになれる場所
以前、危険ドラッグの吸引者が悲惨な事故を起こした街、池袋。ここは今や横浜、神戸に負けず劣らずの新・中華街の様相を呈してきている。
街を構成するのは、新華僑と呼ばれる、戦後に日本へ留学した中国人たちだ。彼らが定住し、様々な店舗を開いたことから、現在は3万人もの中国人が生活しているという。特徴としては、東北出身者が多く、お店で出す料理も観光地化した横浜や神戸と違い、本場の味に近いと言う。
そんな池袋に店を構えるのが「中国家庭料理 楊」だ。
中国家庭料理 楊 2号店 (チュウゴクカテイリョウリヤン) - 池袋/四川料理 [食べログ]
ここはTVドラマ「孤独のグルメ」で有名になってしまい、行列ができて常連としては腹立たしい限りなのだが、もちろん私もドラマで店を知って行列を長くしたクチだ。番組で五郎さんが食べていた汁無し坦々面が美味そう過ぎて、番組放映後の混雑する中、食べに行った。
それからしばらく経ったが、久しぶりに再訪してみた。
ビリビリに痺れる花椒の辛さ
坦々面や麻婆豆腐など、四川料理が人気であるこのお店では、料理を注文すると店員さんが「辛いけど、大丈夫?」と聞いてくる。このくだりは「孤独のグルメ」のドラマの中でも再現されていて、このお店のお約束なんだと思う。
ここで特別辛いのが好きじゃない人は、「辛さ控えめで」とお願いしないといけない。よく初めての店では「普通で」と答えて基準を計ろうとするが、この店でそれをやるのは危険だ。
マジでどっ辛いからだ。
唐辛子の辛さもそうだが、花椒(ホアジャア)と呼ばれる中国山椒の痺れる辛さもまた凄い。いわゆる麻辣味と言われる、辛さと痺れのダブルパンチが襲ってきて、意味も無く往年のアーケードゲーム「双截竜(ダブルドラゴン)」を思い出してしまう。
刺激が半端無いため、食べ続けるうちに毛穴から汗が噴出し、唇の周りは局所麻酔を打たれたかのようにビリビリと麻痺してくる。こめかみの辺りは血液がドクドクと脈打つ音が響き、動悸が激しくなる。
とある本によれば、「ドラッグ」と呼ばれる物の定義は非常に難しく、広義で考えれば砂糖ですらドラッグの範疇に入ると言う(体内に摂取すると血糖値を上げるという作用を及ぼすからだ)。
その定義で言えば、 麻辣味とは確実にドラッグだ。
私の周囲でも、辛さにはまって蒙古タンメン中本に通いつめる人が後を絶たない。精神依存の症状さえ発症しているのだ。
- 作者: A.ワイル,W.ローセン,ハミルトン遥子
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そもそも何で中国の人は、口に入れると痛いレベルの刺激物を食べようと思ったのだろうか。 宮廷の遊びに飽きた貴族の師弟たちが、非日常の刺激を与えてくれる嗜好品としてもて遊んだのだろうか。
だとすると、衣食住足りた先進国で、わざわざ体に害を及ぼす粗悪なドラッグを取得する現代の若者のようではないか。
辛さで口の周りが麻痺した私は、よだれを垂らしアワアワと呻きながら帰路についた。こんな危険なものが野放しにされている池袋という街のデンジャラスさに慄きながら。
翌日、トイレに入った私は摂取したカプサイシンを体外に排出する、いわゆる〝抜く〟過程で地獄の苦しみを味わった。そういう意味でもこの坦々麺は危険だ。
次回は池袋東口にて、強烈な精神依存を起こすというラーメン二郎に挑戦してみたいと思う。
以上、特にオチはない。
ネッシーの実在問題とネッシーランド ~イギリス・スコットランド旅行~
英国のミステリースポットを巡る旅。避けて通れないのはスコットランドはネス湖に住むという世界一有名なUMA、ネッシー。
ロンドンの外科医が撮影したという有名な目撃写真は、捏造だということが本人の死の間際の告白によって明かされてしまったが、そんなことは関係ない。
2014年の夏。誰にも頼まれていない不思議発見の旅に私は行ってきた。
ロンドンからエジンバラ、そしてインバネスへ
ネス湖はスコットランドの北西部にあり、ロンドンからのアクセスは少し不便だ。
最寄の町はインバネス(Inverness)。ちなみにインバとはスコットランド語で河口を意味するのでインバネスとは“ネス(河)の河口”という意味になる。その名の通り、細長いネス湖からの支流が中心を流れる美しい町だ。
今回はロンドンからスコットランドの首都エジンバラに飛行機で飛び、そこからレンタカーでインバネスを目指した。
一泊二日の予定だったので、一番安いコンパクトカーを予約する。
(※今回の旅行では二度レンタカーを借りたが、rentalcars.comが便利だった)
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エジンバラ空港のHertsのカウンターへ行くと、係員から熱心に車種のアップグレードを進められる。デカい車の方が快適だぞ、今ならお得な価格でアップグレードできるぞと。だが私は申し訳なさそうに首を横に振る。
「その・・・・・・小さな車が好きなんだ。小回りが利くし、狭い道も安心だからね」
まぁ、本音はタイヤが四つ付いてればなんでもよかった。安く上がる車が欲しいだけなので。
無念そうにする係員からキーを受け取り、私は駐車場に向かう。
指定された場所で私を待っていたのは、メルセデスだった。
何かの間違いだろうかと、カウンターに戻って係員に確かめる。
「今はコンパクトカーが出払ってて、それしかないんだ」
そう言って係員は肩をすくめた。
「……そう。あ、そう。だったら仕方ないね」
私はもう、小回りがどうとかは口にしなかった。まっすぐ駐車場に戻ってメルセデスに乗り込み、係員の気が変わらないうちにエジンバラを後にした。
ネス湖をどう観光するか。それが問題だ。
ネス湖へはインバネスから南西に車で30分ほどだ。ただし全長で20㎞近くあるネス湖のどの部分を目指すかによって、距離はだいぶ違う。
大抵の観光客は、湖の北部にあるアーカート城を目指す。
アーカート城公式サイト(英文)
Historic Scotland - Urquhart Castle Property Overview
ここはネス湖観光の中心地だ。
すでに城としての面影はない城跡だが、立派なビジターセンターがあり、カフェや土産物を扱う売店もある。
歴史的な城跡としても見所が多いし、ネッシーの目撃談が多いスポットでもある。
アーカート城から少し離れた道路沿いには、ネス湖エキシビジョンセンターがある。
Historic Scotland - Urquhart Castle Property Overview
ここにはネッシーの実在に迫ったアトラクションがある。小部屋で順番に上映されるフィルムを歩いて観て回るシンプルなものだが、なかなか興味深い。
ネッシー実在の可能性について科学的に向き合い、掘り下げる内容となっていて、単純なネッシー万歳フィルムではない。
例えば、以下のような 否定的な意見も取り上げている。
・ネッシーが鎌首をもたげている目撃写真があるが、もしも首長竜の一種であれば骨格の構造上、あのような首の持ち上げ方はできない
・ネス湖に生息するプランクトンや魚類の総量から計算すると、ネッシーのような巨大生物を何匹も養う食料にはなりえない
・ネス湖の水温は冷たく、でっかい爬虫類は生息できない
……こう書くと、もはや“存在しない”でファイナルアンサーなんじゃないかという気もするが、 一般的に“不存在の証明”というのはとても難しいので、何か希望を残して終わってる感じがする。
ちなみにアトラクションは全編英語。予め入口で配っている各国対応のフライヤー(要約が書いてある)をもらっておくべし。
(※日本語版の音声ガイドがあるかも)
※アトラクションの後には定番の土産物コーナー。ぬいぐるみだらけ。
恐るべきネッシーランド
ネス湖エキシビジョンセンターから数十メートルほど離れた場所にある、売店に併設された施設。ネス湖エキビジョンセンターが、真摯な態度でネッシーの実存に迫った施設だとしたら、こちらはどっかのおっさんが悪ふざけで作ったとしか思えないテーマパークだ。
たくさんの観光客で溢れかえっていた他のスポットとは違い、ここには人っ子ひとりいない。エントランスから入ると、誰もいない売店が出迎えてくれる。奥にはカーテンで目隠しされたガラス戸がある。
この奥がネッシーランドに違いない。
だが、どこで入場料を支払い、どうやって入場するのかは謎に包まれている。
わたしはしばらく売店の中をうろついてみた。客はもちろんのこと、店員さえいないのだ。ネッシーのぬいぐるみやTシャツ、カレンダーなど、なぜかまったくネス湖エキシビジョンセンターと同じような土産物を眺めながら、人の姿を探す。売店は意外に広い。
やがて、どこかで水を流すような音が聞こえ、奥からトイレをすませたおっさんが姿を現した。
私はその人物に近寄ると、聞きたかった謎について口にした。
「あの……すいません。ネッシーランドというのは……」
するとその初老の男性は目を輝かせ、溌剌とした表情で私の言葉をさえぎった。
「興味があるのかい!?」
「あ、いえ、どのような施設なのかと思い……」
「たったの六ポンドでネッシーに関する科学的な示唆に溢れ、歴史的に価値のある展示を見ることができる。さらに、奥では映画が上映されている。世界でたったひとつ、ここでしか見ることの出来ないオリジナルのフィルムだ。これは本当に価値がある映画だから、ぜひ見て行って欲しい。たったの六ポンドだ」
熱弁をふるうおっさんに圧倒され、気がつくと私は六ポンドを支払っていた。まぁいいだろう。何と言っても世界でたったひとつ、ここでしか見ることの出来ないオリジナルのフィルムだというのだから。
おっさんに促され、ガラスの扉を開く。
「中は通路になっている。右側の道を壁伝いに歩いてグルリと部屋を周回するんだ。最後の部屋が映画館になっている」
言われるがままにネッシーランドへ足を踏み入れる。
目の虚ろなネッシーたちが私を出迎える。
館内はウォークスルー形式の展示場になっており、手作り感のある装飾の通路を、壁面に掲出されたパネルを読みながら歩く。照明は薄暗く、ちょっと変なにおいがする。順路は有るのか無いのか、良く分からない。
そして、私以外には客がいないため異様に静かだ。
薄暗い館内を歩いていると、子供の頃に訪れた岡山の遊園地のお化け屋敷を思い出した。上から何かが降ってきたり、壁から噴出してくるような“雰囲気”があるのだが、実際には何も起こらない。
身構えて歩いていると肩が凝る。雰囲気はさながらお化け屋敷だが、実際は博物館なので、リラックスして見学すると良い。
そして施設の奥には確かに映画館があった。
観客はもちろん私だけだ。
誰も居ない施設の奥で、ひとりで映画鑑賞をするという、想像以上に薄気味悪い体験だった。
さて肝心の中身だが、おっさんが世界でここだけ、と強調していた映画は、ネッシーを見たと主張する地元の人たちのインタビューをつなげて作ったものだった。
明らかにホームビデオで撮られており、時々、画面の端に消し忘れの日付が入ったりする。
インタビュー映像ばかりで画的にバリエーションが無いせいか、頻繁にネス湖の湖面がアップでインサートされる。ゆらゆら揺れる水面を見すぎると、途中で気持ち悪くなるので気をつけよう。
私は五分で切り上げた。
映画館を出て、出口へと向かう。とびきり狭い通路を歩いていた私の背後から、
「プシュッ」
と音がして、何かが吹き付けてきた。
思わず声を上げて飛び上がる。
モーションセンサー付きの芳香剤が、変なにおいを噴出したのだった。
意図せずして、この施設の中でもっともエキサイティングな瞬間だった。
ロンドンの幽霊宿と、温かくたっぷりな朝食
GPSはこの場所が今夜の宿だと示している。
だがそこには古ぼけたパブが一軒あるきりで、ホテルらしき建物は見あたらない。
英国のミステリースポットを訪れるため、フランスからユーロスターでロンドンに入った初日の出来事だ。
宿はロンドンから少し離れた住宅街の安いホテルを予約していた。
時刻は十五時過ぎ。
探していたホテルは見当たらず、悪いことに一時間ほど前から猛烈な便意を催している。住宅街なので、トイレを借りられそうな商店などもない。
仕方なく、古ぼけたパブの扉を叩いてみることにする。中にはどんな人が待ち受けているのだろうか。
これはH.P.ラグクラフトの怪奇小説などではない。2014年の夏、私が体験した鮮烈かつ強烈な事実の物語である。
「もしかしてだけど……ホテルを探してるのかな?」
まだ陽の高い午後だと言うのに、パブの中には三人の男女の姿があった。カウンターの中に若い女性のバーテンダー、カウンターには老人と若い男性が座り、ヒソヒソと言葉を交わしている。
私が入っていくと会話が止んだ。六つの青い目が、場違いなアジア人旅行者の姿に向けられる。
手前に座っていた若い男が、肩をすくめた。
「もしかしてだけど、ホテルを探してきたお客さんかな?」
私が頷くと、三人はやれやれ、という表情を見せた。灯りにひきつけられ、たまに迷い込んでくる愚かな羽虫でも見るように。
「宿は二階だよ」
老人が天井を指差す。一階がパブで、二階がホテルという形式だったのだ。礼を言ってパブの奥の階段に向かいかけた私を、バーテンダーが呼び止める。
「待って、改装中だからそちらからは上がれないわ。パトリックに言って、裏口から上げてもらわないと……」
パトリック?誰だそれは、と思ったが、それ以上に気になるのはその名前が口にされた瞬間、三人が同時に顔をしかめたことだ。まるで忌わしい何か、呪われた名前でも口にするように。
私は自分がどうすればいいか分からず、その場に立ち尽くした。英語で何と言えばいいのか、考え始める。
その時。
「おい、パトリック!パトリック!」
若い男が、パブの開け放たれた扉の外に向かって声をかける。私が振り向くと、通りを歩く若い男の姿が目に入った。よれよれの灰色のトレーナーを着た、太り気味の白人の青年。
パトリックはおどおどした表情でこちらを見た。説明してもらわなくとも、彼がコミュ障だってことはよく分かる。そして彼がこの町の“のび太くん”なのだということも。パブにいる面々が、面倒くさそうに、だが仕方ないという諦めの雰囲気で彼と接していたからだ。
「ほら、お客さんだよ、パトリック」
とびきり虚ろな青い瞳が私を出迎えた。
「ハイ、僕はパトリック。何かあれば電話して、この宿はとても快適だ……」
パトリックはパブの裏手にある扉を開けて、私を中へと案内する。
宿の中は何と言うか、改装中だとしか思えない有様だった。
古ぼけた建物はあちこちの壁紙が剥がれ、柱の塗装が剥がれて床に散らばっている。カーペットは煙草の焦げ跡だらけだ。足を踏み入れた瞬間、暗鬱とした気分に襲われる。
私を角の部屋に案内したパトリックは、こちらの目を一切見ないまま、ボソボソと設備の説明を始めた。
「ハイ、僕はパトリック。あなたの部屋はこちら。バスルームは共同なので後で説明する。wifiのパスワードはあそこに書いている。朝食は……」
パトリックは窓際に立つと、通りの向かいの店を指差した。
「あなたはあそこで快適な朝食をとることができる。とても便利だ」
電灯の切れかけた看板を掲げた、古ぼけた食堂が目に入った。
説明が続く間、私にはひとつ気になることがあった。
「パトリック、どうもベッドメイクがされていないようだけど……」
恐る恐るそう指摘すると、パトリックはシーツのかかっていないベッドに目をやり、しばらく考えた後でこう口にした。
「そうだ。ベッドメイキングが遅れてる。あと……三時間くらいで終わる」
「そう……だったらいいけど。夜には間に合うから」
時刻は十五時過ぎ。要するにシーツの発注を忘れていたのだろうと考えながらも、私は愛想笑いをした。何故か彼と言い争う気にはなれなかった。
だがパトリックは私の笑みを無視し、少し怒ったような口調で付け加えた。
「何かあれば、ここに電話して欲しい。僕が対応する」
電話番号を手書きしたメモを僕に押しつけると、パトリックは立ち去った。一切こちらの目は見なかった。
結果的に、その番号に電話をかけることは無かった。部屋の鍵は閉まらなかったし、Wifiは繋がらなかったけど。なぜなら字が汚すぎて電話番号が判読できなかったからだ。
シャワールームの悲劇と、腹を割くような絶叫。
どうやらそのホテルに、客は私しかいないようだった。部屋で荷解きをした私は、まずトイレの場所を探すことにした。
バスルームと書かれた扉を開けると、だだっ広い部屋の片隅に簡易式のシャワーブースが据え付けられているだけだった。脱衣所も洗面器も無いし、床には排水溝もない。その奥には扉があり、開けてみると便器があった。
もともとはランドリールームだった場所に、無理やりシャワーブースを設置したように思える。脱いだ衣服やタオルを掛ける場所も無い。
トイレを済ませた後、私はシャワーを浴びた。タオルや着替えをビニール袋に詰めてドアノブに引っ掛け、日本から持参したビーチサンダルを履く。デスバレーの砂漠のキャンプ場でもここよりはマシだったと思いながら髪を洗った。
感動的なことに、石鹸、シャンプー、リンスは部屋にあった。いつからそこに置いてあるのかは知らないが。
シャワーから出た私は、角の向こうから誰かがこちらへ歩いてくる足音を聞いた。
このホテルには僕とパトリックしかいない。だから多分、あれはパトリックの足音だろう。そう思って自分の部屋へと向かう。
足音が近づいてくる。
真っ直ぐ進めば、足音の主と角のところで鉢合わせする感じだ。僕は相手にこちらの存在を知らせるように、わざと足音を立てて歩いた。
やがて、角に到達した。
「うわあぁぁぁぁっっっ!!!!」
絶叫。
パトリックが絶叫している。
さっきまでボソボソと喋っていた若者とは思えない、家系ラーメンの店員かと思わせる大音声だ。
それは、絶対に会ってはいけない何かと出くわしてしまった者の恐怖のように思えた。
やがてこちらと目が合うと、パトリックは相手が何者か認識したようで、ボソボソと詫びながら立ち去って行った。
おい、 パトリック。
このホテル、絶対何か出るだろ。。。
温かくたっぷりな朝食。
夜中、ドンドンとドアを叩く音に目が覚め、何やらギリギリと窓枠をこじ開けようとする音に気づいて外の様子を窺おうとして、窓の外に魚のような顔をした人物の顔を見つけてぎゃああああーーー!
みたいな展開にはならず、無事に夜が明けた。時刻は七時過ぎ。
腹を空かせた私は、パトリックに教えられた食堂で朝食をとることにした。テーブルが四つほどの小さな食堂。薄汚れたコックコートを着た店主が一人で切り盛りしている。
向かいの宿に泊まっているのだけど……と告げると、ニコリともせずに「何でも注文しな」とこちらに告げる。料理名が良く分からなかったので、朝食セットみたいなものを注文する。
山盛りの芋と豆が出てきた。
1500キロカロリーはあると思う。
インパクトが強かったので、写真は二枚撮った。
この日から一週間ほど英国に滞在したのだが、朝食は常にこんな感じだった。たっぷりの芋と豆とソーセージと卵。そして、温かい。朝食はいつでも温かかった。味はともかくとして。
茶色く塩辛いそれを半分ほど平らげると、私はホテルを後にした。
教訓。
今回の宿はExpediaで予約した(一泊50ポンドくらい)が、よくよく考えるとレビューが一件も無かった。レビューは定性的な評価を得るための貴重な情報源だ。もしも選択肢があるなら、レビューの無い宿は避けた方がいい。
旅から帰ってきてこの記事を書くにあたり、再びこの宿の情報を確認したが、やはりレビューは一件も無かった。ツッコミどころが多過ぎて、みなレビューを書くのを断念してしまうのだろうか。
それとも、この宿に泊まった人たちは皆、魚のような顔をして口をパクパクさせるだけの存在に成り果ててしまったのかも知れない。
あ。。。ノックの音が聞こえた。誰か来たようだ。