風とビスコッティ

第3回ゴールデンエレファント賞受賞「クイックドロウ」作者です。ある日ブログのタイトルを思いついたので、始めることにしました。できれば世の役に立つ内容を書き記していきたいと思っています。

大坂なおみと誰かのための配慮の話

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大坂なおみ全豪オープンで優勝し、アジア人初の世界ランキング一位になった昨夜の事。
テレビやネット、友人のSNS上はその話題で持ち切りで、うちの父親までもがなぜかメールを送ってよこした。

だからこれは凄いことなんだと思いつつ、テレビに流れる二十一歳の女王のスピーチを聞いていた。

相変わらず人前で話すことに慣れていない、野暮ったさと可愛らしさの入り混じった口調。話してる最中で、手にしているトロフィーを置かなきゃとマイクの前を離れる天然っぽい仕草。
日本人はこういうのを“可愛い”と言って喜ぶ。
浅田真央ちゃんに人気があったのも、そういう面が評価されてたんだと思う。

でも、世界ではどうなんだろう。
そんなことを考えながらニュースを見ていたら、色んなことが気になってきた。

なんだか差別的な話になったら嫌なのだが、でも気になったのでこのブログを書く。

 

 

大坂なおみは何者なのか


テレビで見かけはじめの頃の大阪なおみは、正直ちょっと異質な存在だった。

百八十センチの恵まれた体格に、黒い肌。縮れた髪の毛をしていて、日本語をほとんどしゃべれない。はっきり言って、日本人に見えない。
でも名前は「大坂なおみ」。
正直、最初にその名前を聞いた時は“なんでやねん”と思った。
帰化した外国人に日本名を名乗らせてるのかとさえ考えた。
サッカーや相撲界など、日本のスポーツ界ではよく見かける光景だからだ。

でも実際はハイチ系アメリカの父親と日本人の母親の間に、大阪で生まれたという(大阪で生まれた大坂なおみ!)。やがてアメリカに移住するも、日米の二重国籍を持ちつつ、日本のテニス協会に所属。

そう言われて見ると、目鼻立ちにアジア系の特徴が混じっているような気がするし、日本語での受け答えも何だかシャイな日本の女子っぽいぞ。へぇ、カツカレーなんかが好きなんだ。
そんな風に彼女を見る目が変わっていった。

特に印象的だったのは、2018年に全米オープンでセリーナ・ウィリアムスを破って優勝した時のスピーチだ。
決勝のジャッジがセリーナに対して悪意があるんじゃないかと、会場にはブーイングが吹き荒れて雰囲気は最悪だった。そんな中、大坂なおみはマイクを向けられてこう言った。
「みんなセリーナを応援してたのを知ってるから、こんな終わり方ですいません。とにかく、試合を見てくれてありがとうございます」
その瞬間、ブーイングが大坂なおみへの歓声に変わったのだ。

自分は全然悪くないはずなのに、対戦相手への敬意も含めて謝罪した。
何だか凄く“日本人っぽい”と感じた。

そして日本のメディアもまた、そうした彼女のキャラクターを“日本人に特有の謙虚さだ”と報道するようになったと思う。

でもね。
世界の人は彼女を“何人”だと思っているのだろうか?と思う。

世界で流れているのは彼女の英語のスピーチで、たどたどしい日本語の受け答えは流されていない気がする。そして彼女の活躍は、父親の出身国であるハイチでも大々的に報じられているとか。


僕は日系ブラジルン人のカルロス・トシキの話を思い出した。来日当初、見た目が完全に日本人であるにも関わらず日本語が全然喋れない彼は、新幹線のホームでヤクザに絡まれた時「日本語ワカリマセーン」と答えてさらに逆上させたという。

島国ニッポンでは“日本人”と“それ以外(ガイジン)”をはっきり分けて考える傾向が強いと思う。
複雑なルーツを持つ彼女を果たして日本人と呼んでいいのか? という論調は以前からある。

僕たちは大活躍する彼女に“日本人”であることを期待しているが、実際のところ、彼女は何者なんだろうか。

 

 


■ホワイトウォッシュの話


話は変わるが、日清カップヌードルのCMで描かれたアニメ絵の彼女が、白すぎるといって問題視され、放送中止になったと言う。
問題のCMに関しては炎上する前、テレビで二、三回目にした記憶がある。その時は白いとか黒いとか気にならなかったが……炎上後に改めて画像を見比べたのだが、まぁ確かに白いよね。

でも、それがどうした?と思うレベルだ。“ちびまる子ちゃん”や“ドラえもん”の特番に出てくる芸能人(西城秀樹とか、衣装がなければ誰だかわからない)とかに比べれば圧倒的に再現力は高いと思う。数秒しか映らないCMだが、一目で大坂なおみだとわかる。

でも、問題なのは肌の白さなのだ。黒い肌を白くすることは差別につながると言う。
ちなみに白い肌を黒くするのも。
2017年にダウンタウンの浜ちゃんがエディ・マーフィーの仮装のつもりで顔を黒く塗ったら“ブラック・フェイスだ!”と叩かれた。

全ては黒人やマイノリティに対する差別問題に端を発している。

白人は美しく、黒人(やマイノリティ)は醜い、という価値観は未だにあちこちに根強い。オスカーにノミネートされた俳優が全て白人だったため「#OscarsSoWhite(オスカー白過ぎ~)」というハッシュタグが話題になったのは、80年代の話じゃない。何と2015年のこと。
原作では非白人だったキャラクターを白人が演じることが“ホワイトウォッシュ”と叩かれるものの、未だに多くの作品で起きている。

そうした抑圧に対してマイノリティが声を上げ、差別に抗おうとした結果……窮屈になったこともいっぱいあるよね。
そう、ポリコレだ、ポリコレ。

行き過ぎた配慮の結果、映画のキャスティングを白人だけで固めるのは“差別だ!”となった。その結果、いびつな形で有色人種を配役したり、歴史物でも史実に反するストーリーになったり……。

全ては“誰かに対する配慮”のためだ。

この話を突き詰めていくと、もう少しきわどい話になるのだけど、今回は大坂なおみ選手の話なのでこの辺りで留める。

 

結論として言いたいことは、“誰かに対する配慮”のために停止された日清のCM。あれを見た大坂なおみ本人には、肌は何色に見えたのだろうか、ということだ。

 

 

■彼女の謙虚さが示す物


ここ数年、テレビで日本を自画自賛する番組が溢れ返り、ネット上ではネタにされている。

残念ながら、日本が衰えてきた証拠だ。
まぁ仕方ない。人口が減少し、高齢化が進んでいるのは現実だ。我々は世界に先駆けて高齢者が大多数を占めるお年寄り国家になろうとしている。年寄りは次に生み出すものよりも、過去の栄光にすがってしまうものだから。

もう少しして、大人としての分別を取り戻し、今一度未来に目を向けられるとよいのだけど。

いずれにせよ、お年寄りである日本は世界からどう見られているかが気になって仕方がない。日本の誇りと感じられるものには嬉しくなってしまう。
だから大坂なおみも“日本の宝”として持ち上げている。

大坂なおみって、あの謙虚さが日本人っぽいよね」
とか
「日本特有の美徳である“謙虚さ”を大坂なおみが世界に伝えてくれた」
とか。
そのうち大坂なおみは胸に“Ken-kyo”と書かれたTシャツを着てテレビに出ればいいと思う。

でもね。
“謙虚さ”は別に日本だけの美徳ではないのだそうだ。
よく考えればわかりそうなものだが、激しく自己主張して自分の非を認めようとしない驕り高ぶった人間なんて、洋の東西を問わず受け入れられるはずがない。
例えばキリスト教にも“humility(謙虚)”という美徳がある。そしてその逆である“高慢”は7つの大罪入りを果たしているのだ。

じゃあ、よく海外に出た日本人の“謙虚さ”が問題になるのはなぜなのか。
海外赴任した日本のビジネスマンが“出来ること”を“出来ない”と言って現地の人を混乱させたり、自分の家族をわざとを卑下して不快に思われたり。
厚切りベーコンが「Why?JapanesePeople??」となってしまうこの現象は何なんだろう。
謙虚さ、という概念が日本人にしかないからではないのか?

僕は違うと思う。
これは謙虚さというより単に「互いをよく知らない相手に、無暗にへりくだってしまうこと」で生じるすれ違いなんじゃないか。

大坂なおみ全米オープンの優勝スピーチで謝ったけど、会場の人たちは彼女が謝る必要なんかないと理解していた。でもセリーナへの敬意とファンへの感謝を示すため、彼女は一歩譲ったのだ。
一歩譲ったのだということを、会場の人たちは理解していたから受け入れた。

でも互いにどういう能力、立場なのか分からない状況で闇雲に謙遜されると、相手から見て「この日本人は何歩譲ってるのか?」わからなくなるのではないだろうか。
だから「Why?JapanesePeople??」ってなるんだろうと思う。

 

 

で、何が言いたいかと言うと。

日本のメディアが大坂なおみを日本の宝だと持ち上げ、何となく日本を背負わせようとしてるけど、世界の人々は彼女を日本人だと思っているのだろうか。

そして彼女自身は、自分を何人だと思っているのだろうか。
CMで肌を白くされたことが“ホワイトウォッシュだ!黒人差別だ!”と炎上したことに、どう思っているのだろうか。

本人はアニメや漫画が、和食が好きで、羽生結弦の演技に感動したとTwitterに上げたりもした。ビヨンセや、最近売り出し中の黒人俳優マイケル・B・ジョーダンのファンでもある(Wikipedia)。
彼女のバックグラウンドを考えれば、自然とそういうカルチャーに親しむよね、というもののミックス。

全米オープンの後での日本のインタビューで、彼女の複雑なルーツについて質問した記者がいた。その時大坂なおみはちょっと困ったような顔で
「自分のアイデンティティについては深く考えてません。私は私なので」
と答えたのが印象に残った。

まぁ、そうなんだろうと思う。
今この時代、いずれかの共同体に100パーセント帰属しろって方が無理があるのだ。

情報技術の発展によって世界は急速に狭くなり、そして複雑に入り混じった。
自分自身のことを考えてみても「自分は●●だ」と言い切るラベルのいかに多いことか
世界市民だが日本国民でもあり、西側諸国の一員のようでもありつつ、右か左か関東もんか関西人か、ノンケかゲイか、キノコの山かタケノコの里か……。
そして我々は、一人一人が複雑な属性を併せ持っているくせに、いや併せ持っているからこそ、旗色を鮮明にして自分たちの陣営を侵害するものを批判する。

そうして“誰かのための配慮”を求め、互いを束縛し合って世界は窮屈になっていく。
CMの肌の色に文句をつけられるのは、本来なら大坂なおみ本人だけなのに。


大坂なおみは何者か? と書いたが、何者であってもいいじゃないかと思う。
彼女は日本人であり、アメリカ人であり、ハイチの人からみても縁ある人であり、テニス界に取っては颯爽と現れた若きスーパースターなのだろう。

そして何より「私は私」なのだから。

これからも彼女は活躍し、メディアで姿を見かけることは増えるだろう。
その度に日本のメディアは彼女を日本の宝扱いし、僕はまぁ、悪い気はしないだろうけど、ちょっとだけ複雑な気分でそれを見守るのかも知れない。


おっと、今回は特にオチが無い。