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風とビスコッティ

第3回ゴールデンエレファント賞受賞「クイックドロウ」作者です。ある日ブログのタイトルを思いついたので、始めることにしました。できれば世の役に立つ内容を書き記していきたいと思っています。

映画「クリード」と強いパンチを浴びる人生

ふと、思い立って「クリード」という映画を観て来た。

昨年末に公開された「ロッキー」シリーズの最新作だそうだ。

頭の中からロッキーのテーマ曲が離れない。
そんな出来事があって背中を押されたのだった。

※この記事は盛大なネタバレを含んでいる。読む前に今すぐ映画館に行き「クリード」を観ることをお勧めする※

wwws.warnerbros.co.jp

 

●地雷臭に満ちた「ロッキー」のスピンオフ映画

はじめて「クリード」について聞いた時、ちょっと思ったのだ。
「あれ?ロッキーって7年ぐらい前にシリーズ完結を宣言してなかったっけ?」

そう、還暦を迎えたロッキー・バルボアが、一夜限りの復帰戦に挑む名作「ロッキー・ザ・ファイナル」がシリーズの最終作だったはず。

僕だけじゃない。「クリード」の話を耳にしたあらゆる映画ファンは考えたはずだ。

「どうしたスタローン。終わったはずのシリーズをまた引っ張り出すとは、引退を撤回しまくる大仁田厚みたいじゃないか」と。

クリード」のあらすじは、かつてのライバルだったアポロ・クリードの息子をロッキーが鍛えるというもの。
今年70歳になるスタローンが、自分じゃもうアクションは無理だからアポロの思い出まで引っ張り出して映画を作ろうとしているのか?

これは何だかもう、地雷臭しかしない。

そう思ったのだが、どうやら実態は少し違うみたいだ。

この映画は厳密には「ロッキー」ではなかった。

 

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●スタローンの人生を反映させたのが「ロッキー」

「ロッキー」は、とある三流ボクサーが世界チャンプとの試合に挑むという物語だ。

シリーズは6作目まで作られて大ヒットしたが、1作目の「ロッキー」が生まれた背景にはドラマがある。

 当時、無名だったシルベスター・スタローンは、モハメド・アリと戦ったチャック・ウェプナーというボクサーの健闘に感動し、3日で「ロッキー」の脚本を書き上げる。その出来に関心した映画会社が脚本を高値で買い上げようとするが、スタローンは自分を主演とする条件を譲らず、結果的に「ロッキー」は低予算映画として制作される。

 ロッキーは三流ボクサーで、チンピラの手先になるようなダメ人間。すでに中年に差し掛かりつつあるが、人生の勝利とは程遠い場所にいる負け犬だった。

だがそんなロッキーがエイドリアンと出会い、愛する彼女のために世界チャンピオンのアポロ・クリードに立ち向かう。

試合前にロッキーはつぶやく。
「もしも試合が終わっても立っていられたなら、俺は自分がただのチンピラじゃないと証明できる気がする」

そしてロッキーはアポロと戦い、フルラウンドの死闘の末に判定負けとなる。

 

ボクサーが戦って、負ける物語。

端的に形容すればそれだけの話なのだが、映画を観た人は誰もロッキーが負けたなんて思わない。
試合終了の直後、ボコボコに殴られ、腫れあがった顔でロッキーは愛する人の姿を探す。そしてエイドリアンと抱き合い、映画は終わる。

試合には負けたけど、ロッキーは自分自身を証明し、愛を手にすることができた。
周囲からは馬鹿にされ、手も足も出ずに秒殺されると思われていたけど、ロッキーは最後まで諦めず、ダウンしても立ち上がったからだ。

 その姿は当時のシルベスター・スタローンとぴったり重なる。

負け続けの人生、だけど諦めずに、諦めずに前へと進むことで、いつか勝利を掴む。

 

 実際に「ロッキー」は大当たりし、無名の三流役者だったスタローンは一躍スターになった。

 

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●「クリード」の企画を持ち込んだ20代の映画監督

「ロッキー」シリーズは全てスタローンが脚本を手掛けている。だがこの「クリード」の脚本・監督を務めているのはライアン・クーグラーという新人映画監督だ。

彼はこの企画をスタローンに持ち込み、映画化を懇願したそうだ。

当初、スタローンは断った(本人によればノー、ノー、ノーと言ったらしい)。シリーズは6作目で綺麗に完結していたし、新たに映画を撮る理由が無かったからだ。
だが最終的には根負けし、映画への出演を承諾した。

この話そのものが、まるで「ロッキー」の再現だ。スタローンは若い無名の映画監督に、かつての自分と同じ情熱と執念を見たのだろう。

テンポの良い映像、不器用でリアリティのある恋愛ドラマ。ロッキーを下敷きにしつつも、より現代的な映画に仕上がっている(特にノーカットで繰り広げられる中盤の試合シーンは圧巻だ)。「クリード」は新たな若い才能によって、従来の「ロッキー」シリーズとは少し違った趣を打ち出した。

 

だが内包するテーマは同じだ。

主人公である若いボクサー、アドニス・クリードは父の名を背負って無敗のチャンピオンに立ち向かう。物語のラスト、フルラウンドの死闘の末、アドニスは惜しくも勝利を逃す。

この敗北こそが、「ロッキー」シリーズの本質だと思う。

「ロッキー」でもシリーズ最終作の「ロッキー・ザ・ファイナル」でも、主人公が試合に負けて物語が終わる。

だけど勝とうが、負けようが結果は関係ない。

立ち向かう者の美しさを讃える物語だからだ。

 

 

●人生で大切なのは勝利ではない

勝利だけが人生のゴールではない。

多くの人にとって、敗北こそが日常だ。
人生には大なり小なり、あらゆる形の敗北が立ち塞がっている。勝ち続けられる人間はいない。 

もしも奇跡的に無敗を貫けたとしても、人生の最期には死という敗北が待っている。
その終局から逃れられる人間はいない。
勝利だけが人生の価値だと考えていたなら、最期の瞬間、人生の旅立ちはひどく味気ないものになってしまうだろう。

6作目の「ロッキー・ザ・ファイナル」で、ロッキーが自分に反発する息子に語るシーンがある。

「人生で大切なのは、どれだけ強いパンチが打てるかじゃない。どれだけ強いパンチに耐えられるかだ」

ロッキーの物語の中で最重要なのは、勝利ではない。

勝つことが素晴らしく、負けることが無様だとされがちな現代で、こういう泥臭い美学を持つことも大切なのではないだろうか。

 「クリード」の中で、ロッキーがアドニスにシャドーボクシングを教えるシーンでのセリフがある。

「鏡の中にいる奴を見ろ。そいつは何度もお前に立ち向かってくる手強い相手だ。そいつに打ち勝て。ボクシングも、人生も同じだ」

多くの人にとって、敗北を運んでくるのは自分だったりする。 

そいつと向き合い、諦めずに立ち向かう勇気を持つこと。その大切さを教えてくれる映画なんだという気がする。

 

 

つい先日、ロッキーのテーマ曲を愛した人を見送った。

きっと、強いパンチを耐えながら過ごした人生だったのだろう。

くたびれ果てていたけど、いい顔で眠っていた。